
祖父から継いだ極上スイカに一球入魂!
フルーツ大国・日田の若きリーダー
夏は猛暑日で冬は氷点下。自然豊かで水郷と呼ばれるほど水豊かな大分県日田市が今回の取材先70mから800mの標高差がある盆地とあって寒暖差が大きく、昔からフルーツの産地として有名な地域です。
そんな日田の山間で、祖父から継いだブランドスイカ『日田天領西瓜』を仲間と守り育てているのが真六園芸(しんろくえんげい)代表の梶原真悟(かじわらしんご)さん。

梶原さんは、高校卒業後、熊本の大学から大学院に進み、鳥取県の「乾燥地研究センター」の特別研究員として海外へ赴任し、砂漠などで育つ作物の研究活動を行っていました。好きなことを仕事にできる楽しさで充実していた矢先、2011年に世界情勢の煽りを受けて海外での研究活動が難しくなり、26歳で帰郷し、迷わず親元就農をしました。
梶原さんの父親は日田梨部会の部会長を長く務めた日田梨の重鎮。すぐ隣の広大な梨園を基本的に奥さんと2人で切り盛りしています。

令和6年秋の褒章で黄綬褒章を受章している
なぜ就農したのかを聞いてみました。
「父は全国に先駆けて日田梨の輸出も行っていました。しっかり頑張れば十分食べていける産業なのだろうなとは思っていたのですが、高校生の頃に見ていた農業のイメージはとても大変そう。勝手に自分には無理だろうと思っていました。社会人になってからも農業を継ぐことはまったく考えてなかったのですが、今思えば大学は農学部で光合成の研究をしていましたし、どこか根底に自分の強みは、農業という分野なのだろうなという意識はあったのかもしれないですね」。
子どもの頃から慣れ親しんだ環境で、手伝うことはあっても、就農というと話は別です。一から勉強し、体を動かし…、生活はそれまでとは大きく変わりましたが、梶原さんを突き動かすのはいつでも情熱。充実した顔で話をしてくれます。
そんな梶原さんに更なる転機が訪れたのは2011年。当時の『日田天領西瓜部会』は、規模は小さいけれども品質も技術力も長けた部会として全国的にも有名。しかし、不幸事などが起こり、部会は存亡の危機を迎えたのだそう。梶原さんは『日田天領西瓜部会』はもちろん『日田天領西瓜』を守らないといけないと思い、祖父の育てる『日田天領西瓜』の生産者として、30歳で独立就農しました。
自ら経営者として新たに事業をスタートさせるとともに、見聞を広めるために、大分県の農業青年組織の会長に立候補し、全国の農業生産者の方たちとのネットワークや知識を広める活動を始めました。

ここでしか作れないスイカ
『天領日田西瓜』を作る上で、気をつけていることや特徴について聞いてみました。
一般的なスイカは、糖度12度で最高品質と言われる中、『日田天領西瓜』は15度〜16度をマークするものも少なくないのだとか。その秘密は寒暖差のあるこの場所と、栽培方法にあるのだとか。
「一般的に寒暖差が激しい地域は、フルーツの味が良くなります。ただ、単に寒暖差がある地域は、他にもたくさんあるのですが、特に重要なのは4月〜6月までのフルーツが実を太らせる時期にちょうどいい寒暖差があることなのです。例えばスイカで言うなら最低気温10度は下回ってほしくないですし、最高気温は30度くらいがベストです。15度〜20度の寒暖差がありつつも、最低気温が10度を下回らない。そうした環境は、植物の潜在能力を発揮するには最高の環境ですね。そういう意味での“寒暖差”がしっかりあるのが、日田の環境的な強みですね」
と、梶原さん。
では、環境が良ければ誰にでも美味しいスイカを作れるのかといえば、そうではないようで。
「スイカは農産物の中でも特に技術を要する生産物。ひと玉約10kgほどですが、放っておけばその大きさになるわけではありません。ツルや葉が際限なく伸びていくと、栄養がそちらに持っていかれて小さな実になってしまうため、気候条件に応じて畑ごとにチェックし、葉っぱ1枚から調整し、収穫時期までの管理体制を細かく整えています」
とのこと。
適した環境で最適な栽培を行う。当たり前のようなこの行動は、日々の弛まぬ努力なしでは実現できないのです。

ブランディングを考えて、儲かる農業を実現
販売環境についても聞いてみました。
梶原さんが関わるようになった当初、市場関係者や大手百貨店の間での品質が良いという理由で『日田天領西瓜』の認知度は高かったのだといいます。ただ、まったく販促活動を行っていない状態だったため、市場価値には反映されず、価格の割に美味しいフルーツの域を出なかったのだとか。梶原さんたちはブランディングの大切さを痛感します。
手間暇かけて自信のあるフルーツを作っても名前が無ければ売れません。日田のフルーツをそれぞれの生産者が各々の努力でブランディングしても、品目ごとのまとまった出荷量を確保できないため良い結果が得られません。
そこで、梨・スイカ・ぶどうという品目の垣根を超えた連携で「日田のフルーツ」自体を有名にする戦略に絞り込み、垣根を超えたブランド「ハレノヒ ヒタ フルーツ」を立ち上げました。
品質にこだわって作る日田のフルーツ生産者が手を組んで行う品質に基軸をおいたブランド戦略は、日田のフルーツの認知度を上げるとともに、量的な規模感を演出することに成功しました。
市場価値をアップさせ、その評判から新たな取引先を増やしつつも、更なるクオリティを求め、2022年には鳥取や熊本など規模の大きな産地でしか導入されていない光糖度センサーを『日田天領西瓜部会』に導入しました。フルーツを切らずに糖度や大きさを測れるというもので、使用することで数値的な確証を得た選果が可能になり、取引にも良い循環が生まれています。
大分県も、新たなビニールハウスを建てるための補助金面などで、梶原さんらの取組みをバックアップしています。
最後に、梶原さんに自身の夢とこれから就農したい人に伝えたいことを聞いてみました。

日本一有名なスイカ産地を目指し、観光にもつなげたい
「日本一の出荷量にはなれなくても、日本一有名な産地になれる。街の1つの観光資源としてスイカを作り続けることで、日田がフルーツの産地として有名になってくれたらいいですね。将来的には日田でフルーツの祭典を開催したいし、そういう活動から新規就農者も増えたらいいなと思っています」。
「農業は地域社会とは切っても切れない関係性の仕事です。地域のコミュニティにも入らなくちゃいけませんし、作ったものにしっかり責任を持つ覚悟も必要です。ただ、すべて自分に決定権があって、自分のやりたいことは全部表現できる、とてもやりがいのある仕事です。農業を取り巻く環境は厳しいものもあるので、生半可な気持ちでは農業は続けられませんが、最後は情熱です。常に心を熱くしておかないと、体が動かないのですから(笑)」

いつも気取らず自然体で、自分らしく生きているように感じた。
農業には、人をポジティブにする力もあるのかも
梶原さんは、プライベートでは2児の父。趣味は格闘技などスポーツ観戦で、農閑期の10月や1月は、全国各地へ家族旅行に出かけるのが楽しみだとか。農繁期にも上手く雇用調整をすれば、近隣の大分市内や福岡に遊びに行くこともできるため、仕事への意欲も保てていると言います。
今日も一球入魂の精神で極上のスイカと地域を育んでいます。
大分県は経営計画の策定から営農開始後のフォローアップまで充実した体制で農業参入を支援します。大分県内の農林水産業の会社に就職したい人も大歓迎です。
詳しくは
農林水産業・就業総合サイト「おおいたで働こう」
https://nourinsui-start.oita.jp/
のイベント情報をご覧ください。
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