“賃貸” で農業の次世代継承を実現!
年間収量 50トンを目指す、岡本兄弟の挑戦。
みかんはジューシーで甘みたっぷり。
この夏のうだるような暑さを吹き飛ばしてくれたのは、フレッシュな果汁が弾けるみかん。
「これまで農業にはまったく縁のない生活をしていましたが、今は天職だと思っています」。
そう大きな笑顔で話すのは、杵築市でハウスみかんの専業農家を営む岡本和也さん。
弟の奨太さんと営むハウスみかん農園は、年間収量35トンをマークするなど、順調に販路を拡大し、今後は収量50トンを目指しています。
以前は製造業をメインにキャリアを重ねてきた岡本さん。祖父の亡き後、いちご農家だった祖母の畑仕事を手伝う形で週末農家を営むようになりました。
「最初は、単純に小遣い稼ぎくらいの感覚だったんです(笑)。
だんだんと自分の裁量で決めることができる、農業という仕事に魅力を感じてきました。それまでは夜勤のある製造業に携わってきたので、その感覚はとても新鮮で一生の仕事にするならがいいのかもしれないと感じるようになりました」。
専業農家の道へ進むと決めた岡本さんは 2018年から 2年間、杵築市が運営するファーマーズスクールで農業の基礎を学びます。
独立するにあたって、何を栽培するのかはセンスが問われるところ。いちごやネギなどさまざまな候補があったものの、最終的にハウスみかんに決めた。理由は「 生産する上で比較的時間の融通が利く “自由さ” があったから」。
実は、大分県は全国 3 位のハウスみかんの産地であり、岡本さんが生まれ育った杵築市の特産品です。 そうした背景から、杵築市は後継者のいない農家さんを対象とした次世代継承を推進する体制を整えてきました。
一般的には新規就農の際、農地の確保はひとつのハードルになることもありますが、地域に根を張る農家さんとともに杵築市と既存の農家さん、新規就農者の間で丁寧に調整を図ってくれます。
そのため岡本さんはスムーズに農地を確保することができたそうです。さらには、ビニールハウスなどの設備や機械、栽培品種の樹木なども、“賃貸” という形で丸ごと借り受けました。
「おかげで新規就農にかかった費用は、純粋な運営費だけ。初期投資も不要で、毎月の賃貸価格も良心的で助かっています。
何より土壌や作物の特性を知っている方が大家さんだから、いつでも困ったことがあれば尋ねることができます。元々農業が盛んな地域なので、隣保班の方々が農業の師匠です。 ほんと、恵まれていますね」。
しかし、賃貸とはいえども手潮にかけて育ててきた畑や樹木は、農家さんにとって他人に手渡すことに抵抗があっても無理もありません。
それでも、培ってきた技術やノウハウ、人脈などの無形資産を受け渡す存在として岡本さんが認められているのは、農業を一生の仕事にする覚悟と、周辺の草刈りなどをこまめに行い、日頃から敷地内環境を大事にする姿勢があるからです。
「師匠に “みかんの樹と喋れるようになれ” と言われて、最初は意味がわかりませんでした(笑)。今は、みかんの樹と向き合いながら、1本 1本水やりをすることが日課です」
と笑う岡本さんは
「自分も荒れた環境で仕事をするのは嫌ですし、どんなに面倒に感じても環境整備は大事にしています」と続けます。
就農から4年、少しずつ農地を拡大する岡本さんには、借受先の農地の数だけ師匠がいます。大家さんそれぞれとの関係性は、深まる一方だとか、
通常、ハウスみかんは収穫まで 5年を要します。一方で、岡本さんは樹木も丸ごと借り受けることができたため、初年度から利益を上げることができたそう。
就農 2 年目には強力な助っ人として弟の奨太さんが脱サラして農業に参画、兄弟で営む専業農家となりました。幼い頃からともに野球に励み、チームワークも抜群のおふたり。
そのパワフルな仕事ぶりは、地域のベテラン農家さんにも一目置かれる存在となっています。今後は、年間収量 50トンを目指し、さらなる規模拡大を目指すとのこと。
ちなみに和也さんのポジションは、ピッチャー。奨太さんは、センター。オフの時間を作っては、ライフワークである野球やゴルフを楽しみながら続けているという岡本さん兄弟。
「頼りになる存在です」と奨太さんがいうように、チームの司令塔として活躍してきた和也さんのリーダーシップは、農家になった現在も遺憾なく発揮されています。
「農業は、自由」。けれども、春夏秋冬の季節の中で作物に寄り添うことは簡単なことではないはずです。
それでも、これまでサラリーマンとして働いてきた岡本さんだからこそ、今ある “自由” に感謝できるのかもしれません。
兄弟で組んだ最強のバッテリーは、期待の星として杵築の農業を新たなフェーズへと導いています。